目の健康を売る!苦境メガネチェーンの華麗なる復活劇 メガネスーパー社長・星﨑尚彦
目の健康を売る!苦境メガネチェーンの華麗なる復活劇 メガネスーパー社長・星﨑尚彦
目の悩みが解消できる!~シニア殺到のメガネ店
東京・高田馬場に、目の悩みを抱える中高年の間で話題となっているメガネ屋がある。メガネスーパー高田馬場店。オシャレで広々とした店内の客は確かに中高年だらけ。「店員が親切」「目の健康に気を遣ってもらえる」と、シニアの心を鷲掴みにしている。
かつて安売りで拡大してきたメガネスーパーが、知らない間に大変身。客の7割が40歳以上という中高年が殺到するメガネ屋に生まれ変っていた。
客が訪れると、メガネスーパーではメガネを作る前に問診を行う。目の悩みはもちろん、生活スタイルや職業などを、時間をかけて細かく聞いていく。 問診の次は検査だ。機器越しの視線の先にあるのは、小さな文字が書かれたボード。これを徐々に近づけて、ピントがぼやける距離を測るのは老眼検査だ。この他に昼と夜の視力の差を測る検査など、メガネスーパーでは最大40項目もの検査ができる(1080円)。メガネを作らなくてもやってもらえる。この細かな検査が中高年に支持されている。
みっちり検査をすると、ようやくメガネ作りが始まる。
例えば、手元の書類とパソコンの画面の両方を無理なく見たいという客には、会社のデスクを再現。検査でわかったデータをもとにメガネの度数を合わせていく。手元に合わせたレンズで見てみると、手元は見えるが、パソコンの画面はぼやけてしまう。そこでメガネの上半分に別の度数のレンズを合わせて、上はパソコン、下は手元が見えるメガネにした。
この客はいいフレームを選び、検査費込みで8万5000円ほどかかったが、「肩凝りや偏頭痛がしたり、結局は見えなかったりするので、奮発しました」と、大満足の様子だ。
メガネスーパーが作るのは、単に「よく見える」ではなく、生活スタイルに合ったメガネ。値段は平均3万6000円ほどと、量販店の3倍以上するが、客が押し寄せている。
テニスが趣味という岩崎勝至さん(74)は、最近、使っているメガネが合わなくなり、テレビを見る時も、テニスをする時も、見え方に不満があるという。すると、高田馬場店店長の押川佳史は、「僕が提案したいと思っているのは距離に合わせたメガネ。例えばテニスをする時と家にいる時のメガネは、同じでいいわけがないじゃないですか」と、使う場面に合わせてメガネを2本持つことを提案した。
1本はテレビや本を読む時に使う中近両用のメガネ。もう1本はテニス用で、相手のコートと手元に来たボールが見える遠近両用のメガネだ。押川の提案に納得した岩崎さんは、この日、2本を買った。
「お客さんがどこを見て生活しているのかが大事。その方の生活用途に合わせることによって、不必要な調節を使わないようにしてあげるのが大事になるかと思います」(押川)
数日後、押川が岩崎さんのいるテニスコートに。こうしてメガネを届けるのも店のサービスだという。
目から健康を考える「アイケア」~メガネ業界の革命児
メガネスーパーを変身させた仕掛け人が住宅街にいた。手慣れた様子で店のチラシをポストに次々と入れていく。「鍵が付いているポストは見ていただけるので入れる。鍵が付いていないポストや名前が付いていないポストには入れません。これもコストなので」と言うのは、社長に就任して6年目となる星﨑尚彦(51)だ。
「地味なのでみんなが嫌がるんです。自分たちがやらないと、若い人たちはやってくれないので」と、自ら率先して動き、見本を示す星﨑。実はメガネとは全く無縁の門外漢だった。もともとは三井物産で働いていた商社マン。会社経営がしたくて33歳で独立。その後は数々の企業を再生してきた。その手腕が認められ、2013年、メガネスーパーの再建を託されたのだ。
当時のメガネスーパーは安売り競争に敗れ、客が激減。社員の士気も下がり、手の施しようがない状況だったという。
「物事を決める人がいない、責任をとる人がいない。悪い会社の典型的な動きがある、そういう感じでした」(星﨑)
事態打開の糸口を見つけるために店舗の視察を繰り返した星﨑は、ある日、ヒントを見つける。それは軽い気持ちで店の視力検査を体験した時のこと。老眼が進んでいた星﨑に、社員たちが「眼鏡を掛けた方がいいですよ。裸眼のまま無理をすると、老眼が進むんです」「放っておくと肩凝りがひどくなるかもしれません」と、次々と専門的なアドバイスをくれた。
星﨑は「戦うための武器は、社員の目の知識なんじゃないか」と気づく。
「自分が想像もしなかった驚愕の事実がいっぱいあって、45歳になるまで誰も一度もアドバイスをしてくれなかった。そういうことを僕らはすべきだと強く思いました」(星﨑)
これを機に星﨑は安売りと決別。メガネを作るだけでなく、目から健康を考える「アイケア戦略」で再建に乗り出した。
ゆっくり目の相談ができるよう店舗を改装。検査もこれまでより充実させた。さらに一部の店には、目の疲れをとるリラクゼーションコーナー(10分1080円)を新設。カウンターの脇には、目の力をサポートしてくれるオリジナルのサプリメントや目薬などの商品も置いた。
もちろん肝心のメガネのサービスも充実させた。使っているメガネのネジの交換やレンズの洗浄など、無料でメンテナンスしてくれる。ライバル店のメガネでもOKだ。さらに購入後6か月以内なら、レンズの度数を何度でも無料で変更できる「ハイパー保証システム」まで作った。
「目の悩みなら、何でも解決してもらえる」とクチコミが広がり、メガネスーパーは連日盛況の人気店に。業績も大幅に回復し、8年連続の赤字を脱して見事、黒字化を実現した。
「小売業でいったら、ユニクロさんには必ず追いつかせて頂きたいと思っていますし、日本で、世界で、小売業ナンバーワンの給与体系になるのはメガネスーパーだ、と」(星﨑)
安売り店が激安に押され…~どん底から奇跡の復活劇
星﨑のトレードマークが、いつも手元にあるキャリーバッグだ。「いつでもどこでも行けるように持ち歩いていて、パスポートも持って動いています」と言う。社長室を持たない星﨑にとって、このキャリーバッグはまさに「動く社長室」。問題があれば、すぐさま現場に出向き現場で解決策を考えてきた。
フクロウのキャラクターでおなじみのメガネスーパーの創業は1973年。個人経営のメガネ店が主流だった70年代、大量仕入れ・大量販売でいち早くチェーン展開を開始した。CMを打って知名度もアップ。当時高かったメガネやコンタクトレンズを安く売ることで、若者の支持を集め、急成長した。
「良い品質のものを、どこよりもディスカウンターとして安く提供するということが、当時のマーケットには非常にヒットしていたんだと思います」(研修統括グループ・吉野正夫)
安さを武器に店を全国に展開。「メガネの三城」「メガネトップ」と並び「メガネ御三家」と呼ばれるまでになった。しかし2000年代に入ると転機が訪れる。それはレンズ代込みで1万円を割る激安店の台頭だ。
それまで安さを武器にしていたメガネスーパーは、こうした激安店に多くの客を奪われ、窮地に陥った。そこでメガネスーパーもさらなる値下げに踏み切る。客の回転を上げるため、丁寧な検査を省略し、「レンズ0円」などの大幅割引で対抗した。
しかし、「なかなか利益に結びつかない疲弊感であるとか、行き詰まり感というのは、店舗スタッフの間でもあったと思います」(吉野)。実際に売り上げはみるみる減少。毎月2億円の赤字を出し続け、多くの店が閉店する状況に追い込まれた。
そんなメガネスーパーの再建を託された星﨑は、状況を把握するため、さっそく店を視察して回った。だが、そこで見たのは、働く意欲をなくした社員の姿だった。
例えば閉店1時間前の店では、「メガネが壊れたので大急ぎで作ってほしい」という客に対して、店員が「申し訳ありません、あと1時間で閉店なので、他の店に行っていただけますか」と答えていた。実は本社から、残業をしないよう指示されていたのだ。
「本社から言われたことをきっちり行うことが最優先で、自分でどういうことをしたいと考えることはあまりなかったんです」(営業統括グループ・箕輪繁)
社員は自ら考えることをやめ、上からの指示でしか動かない「指示待ち族」になっていた。この状況で、一度にすべてを変えるのは困難だと見た星﨑は、いくつかの店を社長直轄にし、そこから改革に乗り出した。
指示待ちからチャレンジャーへ~星﨑流改革の全貌
星﨑改革の象徴ともいえるイベントがある。東京の「大田区産業プラザPiO」で開催された、メガネスーパーが独自に行っている商品検討会。全国から集まった店舗スタッフがフレームを仕入れる大掛かりなイベントだ。それまで仕入れは本部が一括してやっていたが、星﨑は店ごとに自由な判断でできる仕組みに変えた。
「店でお客様を見ている人たちの意見をもっと反映するべきで、そうしないとマーケットと遠くなって、いいものでも売れないんです」(星﨑)
この改革により売り上げは目に見えてアップ。溝ノ口店では「売り上げは前年比120%以上アップ。1年後には200%ぐらいまで上がりました」(営業統括本部・福井英二)と言う。
一方、ららぽーと豊洲店のバックヤードでは、店員がキャンペーン用のチラシを作っていた。これも以前は本部でやっていた。しかし星﨑は、予算の範囲内なら店が独自にキャンペーンを打ち、チラシも自由に作れる仕組みに変えた。この店のキャンペーンは費用が80万円かかったが、新規客が増え、期間中の利益が200万円アップしたという。
「自分から提案したことにお客様の反応があって、利益につながったのを目で見て分かったので、それだけでも楽しくなりました。今後も継続していきたいと強く思いました」(コンタクト補聴器グループ・三田紘之)
直轄店での改革を全国の店に広げようと、星﨑は次なる作戦に乗り出す。星﨑自らバスのハンドルを握り、社員を乗せてやってきたのは神奈川県の秦野平沢店。他の店からも総勢100人ほどが集まった。
始まったのは店舗の大改装だ。作業をするのは「キャラバン隊」と呼ばれるボランティアの社員たち。このイベントを通して、売れるノウハウを全国の店に伝えていくという。
例えば値札のシールを外しているのは「値札表示が小さくてわかりづらい」から。客のほとんどは目が悪い。だから見やすいように文字の大きな値札に付け替えていく。
売れるノウハウを店舗同士で情報交換するこの仕組み。今では、メガネスーパー躍進の原動力となっている。
「今のメガネスーパーにとって一番の店のやり方なので、必ず勉強になります。情報を集めて自分の店に反映させたい」(エスポット新横浜店・友田泰裕)
こうした活動により、それまで指示待ちだった社員が自分で考えるチャレンジャー集団に生まれ変わったのだ。
「今は自分で選んで自分で仕入れて販売しているので、責任感も生まれますし、楽しく販売ができます」(ららぽーと豊洲店・山下裕一)
東京都庁のそばにある西新宿都庁前店。この店で販売を担当している松尾寿美は、普段は接客に努めているが、もう一つ別の仕事がある。
この日、松尾がやって来たのはメガネスーパーの東京本社。会議室では、メガネスーパーのオリジナルフレームのデザイン会議が開かれていた。フレームのデザインに興味があった松尾は、自ら商品開発の兼務に名乗りを上げたのだ。
「チャレンジで難しいこともありますが、商品が出来上がった時の感動や、店頭で販売する時の楽しさは、他の会社にはないかなと思っています」(松尾)
指示待ち族から自発的なチャレンジャーへ。それは星﨑流の働き方改革でもある。
目の悩みを徹底解決!~感動の出張サービス戦略
埼玉県入間市を走るメガネスーパーの車が向かったのは介護付き老人ホーム「入間藤沢幸楽園」。持ち込んだのはメガネだ。メガネ屋に出かけにくくなった人のための「出張訪問サービス」だった。
さっそく入居者たちがやってきた。多くの人が長年、メガネを替えてないという。店と同じ検査が無料で受けられる。買う、買わないは関係ない。しかもメガネスーパーで買ったものでなくても、無料でメンテナンスをしてくれる。
新しいメガネを買いたいという女性が、高齢者向けに選んで持ってきた60種類のフレームの中から、お気に入りを選んでいる。久しぶりのアクセサリー選びはなんだか嬉しそう。もちろん値段は店と同じ。補聴器の専門的なメンテナンスも無料でしてくれる。
実は今、地域のメガネ屋さんがなくなった過疎地域が増えている。そんな地域の人のために、メガネスーパーはこの出張サービスを全国に拡大させているという。
「困っている方がいて、そこに私たちのサービスがはまって、笑顔になって頂けるのはうれしいです」(外商グループ・角田浩一)
日本から「アイケア難民」をなくす。それがメガネスーパーの新たな戦略だ。
~村上龍の編集後記~
星﨑さんは「鬼の経営」とか「剛腕」と評されることが多い。だが、企業再建に限らず、
「力ずく」でできることなどない。
必要なのは、緻密な戦略と辛抱強いコミュニケーション、その二つに尽きる。
有名商社を含め、経歴は華麗だが、地道な努力の継続だけが結果を生むと熟知している。
今でも自転車でチラシを配布していて、「コツがある」とうれしそうだった。心底、好きなのだと思う。チラシ配りだけではなく、必要だと思うことを淡々とやるのが好きなのだ。
そういう人だけが会社の強みを発見し、可能性を現実化する。
<出演者略歴>
星﨑尚彦(ほしざき・なおひこ)1966年、東京都生まれ。1989年、早稲田大学法学部卒業後、三井物産入社。2000年、外資系企業の経営再建に携わる。2013年、メガネスーパー社長就任。
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Source: 株式投資