民主主義の赤字としての中央銀行を誰が掌るべきか
民主主義の赤字としての中央銀行を誰が掌るべきか
要旨
直接選挙では選出されない中央銀行総裁のポスト。情報としての貨幣が取引履歴の匿名性を脅かす現在、プライバシー権の見直しなど法秩序の再編が求められている。「民主主義の赤字」として、合議における集団思考の排除、最高裁判事と同様の国民審査の導入などの課題に直面するだろう。リーガル・マインドをもった中央銀行総裁が望まれる。
はじめに
洋の東西を問わず時を問わず、中央銀行とは「通貨の番人」である。通貨とは通常、法定通貨を指す。かつての金本位制の下で本源的貨幣であった金などの貴金属は商品価値としての貨幣であったのに対して、モノやサービスとの交換価値しか有さない貨幣が、現代における法定通貨というおカネである。しかし、現代におけるおカネは、法定通貨ばかりではない。ビットコインなど分散型台帳を利用した諸々の仮想通貨、中国のIT企業などが発行し信用評価を付与する機能を伴う決済通貨など、「情報」という形態をもつおカネが、機能を拡大し、範囲を拡張している。
中央銀行が通貨の番人ならば、わたしたちの法秩序を維持する法体系において要となる「憲法の番人」は、最高裁判所である。現在、わが国においては、最高裁判所長官は内閣が指名し、天皇が任命する手続きとなっているのに対して、中央銀行総裁は内閣の任命、議会の承認を必要とする違いがある。
しかしながら、英米を比較しても、民主主義における両者の社会的機能には多くの共通点が見出される。中央銀行は、物価の安定と金融システムの安定という貨幣経済の秩序をもたらす社会的使命の下、選出された中央銀行総裁および政策委員のメンバーが合議による集合的意思決定を行う。一方、三権分立の下、行政および立法から独立した司法を掌る最高裁判所では、法秩序を形成する法律や政令などが憲法に違反していないか最終的に判断する違憲審査権の下、選出された最高裁長官および判事が合議によって判決を下す。
最高裁長官の場合、国民審査による信認の手続きがあるが、わたしたちが直接、選挙により中央銀行総裁および最高裁判所長官を選出することはできない。国民審査さえない中央銀行総裁の場合、わたしたちが直接選挙によって選ぶ可能性が排除され、民主主義に対するわたしたちの期待が実際の政策に反映されない状態が許容されてきた。
90年代以降、中央銀行の政府からの独立性が高められる制度的変更が見られたように、中央銀行総裁の選出に関して、民主主義に関する市民の期待が実際の政策に反映されない状態を意味する「民主主義の赤字」(*1)がなぜ許容されてきたのか。もし民主主義の赤字として中央銀行の独立性が許されるならば、貨幣の再定義が急がされる現代において、中央銀行総裁にもとめられる条件として何が考えられるか。
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(*1)この言葉は元々、欧州統合が進む中で、欧州連合(EU)の決定機関に対する批判概念として生まれた。EU法は行政機関である欧州委員会や立法権を有する閣僚理事会が担っており、EU市民の直接選挙によって議員が選出される欧州議会の立法権限は限定的であるため、加盟国の国民の意思から離れているのではないかという意味で使われた。ここでは、中央銀行総裁の直接選挙による選出が認められていない点を指している。
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インフレ・バイアスと直接選挙による選出
フリードリヒ・ハイエクは、80年代後半に議論され始めた欧州における経済統合を予見し、結果として実現した単一通貨ユーロの発行を否定した、貨幣発行の自由化論を打ち上げた(*2)。政治的な権力の影響を受け易い中央銀行の存在自体が、インフレの温床となっていると指摘し、各銀行が自由に銀行券を発行し、預金者が選択できる銀行券のうち、最も通貨価値の安定している、つまりインフレ率が平均して低い銀行券を貨幣として受容できるようにすることを主張した。現代のビットコインなどの仮想通貨の発行に通じる提案であった。
政府の貨幣発行特権に基づく貨幣鋳造益の乱用こそ、インフレの歴史である。この不幸を克服するためには、貨幣を自由に発行させる権利を銀行に与える必要がある。さまざまな銀行預金が貨幣として競争する中で、わたしたちが商品を購入する際、ある銀行預金の購買力が他の銀行預金に比べて安定していれば、その預金が貨幣として選択される。貨幣となる預金を発行する銀行は、貨幣としての預金の価値を高めるべく銀行の名声を維持しながら、預金発行量を調整する結果、貨幣価値の低下、つまりインフレが避けられることになる。
しかし、現実には、欧州において単一の中央銀行である欧州中央銀行が発行する統一通貨ユーロの導入に至るまでの道のりは、政治的な権威をもつ中央銀行を必要としない貨幣発行自由化論とは真逆の経緯を辿ったことになる。欧州中央銀行では、政策決定会合での採決が満場一致になるまで議論するのを原則とするため、金融市場との対話において、審議委員の間の意見の不一致が金融市場のかく乱要因となる。
金融政策をルールで縛るべきか、中央銀行の裁量に任せるべきかという80年代の議論は、今や学部生向けのマクロ経済学の教科書を飾っている。選挙を通じたポストの再選の確率を高める政治経済学的要因などのため、中央銀行総裁が代表する中央銀行家は、インフレが起こらない下で、非自発的失業のない完全雇用が労働市場で実現する自然失業率よりも低い失業率を目標とする傾向がある。この短期を重んじ長期を軽んず時間的不整合性と呼ばれる問題から、失業率を低め景気を良くするために、インフレを起こす。物価変動に伴う社会厚生上のコストのことをインフレ・バイアスと呼ぶ。社会厚生上望ましいゼロ・インフレの達成をわたしたち民間経済主体が信用するように、中央銀行家が約束(コミットメント)するルールが、インフレ・バイアスを未然に防ぐのに役立つ(*3)。
しかし、インフレ・ターゲティングの枠組みなど、実際の金融政策がそうであるように、中央銀行の金融政策をルールで縛ることはできても、わたしたちが低インフレの達成のコミットメントを信用することは難しい。なぜなら、インフレ・バイアスが存在するからである。現実の金融政策は、裁量に拠らざるを得ない。問題は、裁量の下で発生するインフレ・バイアスをどれだけ小さくできるかである。
インフレ・バイアスの大きさを決める要因のうち、中央銀行家の資質が関わるのが、物価変動の社会的損失をどれだけ大きく考えているかという中央銀行家の選好である。この物価変動に対する警戒の大きさを、提唱者の名前(Kenneth Rogoff)を冠し、ロゴフの保守主義と呼ぶ(*4)。つまり、物価変動に対してより保守的な選好を持つ中央銀行家の裁量に任せる方が、社会的に見て望ましい金融政策が期待できることになる。
それでは、ロゴフの保守主義を満たす中央銀行家を如何にして選ぶことが可能であろうか。民主主義的手続きとして、選挙民の直接選挙に任せることが考えられる。しかし、選挙による手続きの下では、ロゴフの保守主義の程度が選挙民のもつインフレ警戒度の分布において、上からと下からの中位にある被選挙人が選ばれることになる。この中位者投票のメカニズムにより、社会的に望ましいロゴフの保守主義を標榜する被選挙人が世の中に存在するにも関わらず、中位にあるより望ましくない中央銀行家が選ばれる。直接選挙による中央銀行総裁の選出は、望ましくない。中央銀行総裁の選出について、「民主主義の赤字」が許容される理由である。
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(2)F.A.ハイエク『貨幣発行自由化論』(川口慎二訳)、1988年、東洋経済新報社。
(3)Barro, R. J, and D. B. Gordon. “Rules, Discretion and Reputation in a Model ofMonetary Policy.” Journal of Monetary Economics 12(1) (1983), pp. 101-121.
(*4)Rogoff, Kenneth. “The Optimal Degree of Commitment to an Intermediate Target.” Quarterly Journal of Economics 100 (1985), pp. 1169-90.
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集合的意思決定における集団思考
金融政策は、政策委員の議決による集合的意思決定である。多くの中央銀行において成文化された議決方法は、政策決定会合で投票権を有する委員の過半数による採決による。しかしながら、実際の政策決定過程では、満場一致を含む大多数の委員による賛成(コンセンサス)を目指す議論運営がなされていると考えられる(5)。コンセンサスを得るためには、委員の意見がどれくらいばらついているかが問題となるが、金融政策以外の集合的意思決定においてそうであるように、声の大きい人の意見が通り易い一方、多くの参加者は、強い意見をもつ人の判断を鵜呑みにし、自前の情報を獲得し、合理的な判断を行うために必要なコストを節約しようとする。こうした傾向を、集団思考と呼ぶ。かつて日本銀行の消極的な金融緩和を強く否定していたベン・バーナンキ氏が、自らがFRB議長となったのち、FRBの量的緩和策に消極的な態度をとった経緯として、FRB内部の意思決定における集団思考の弊害が指摘された(6)。合議による集合的意思決定が集団思考に陥り易い状況は、団結力のある集団において、メンバーに発言の機会を平等に与える公平なリーダーシップが欠如し、構成員の社会的背景が均一化するなど構造的な組織上の欠陥が見られ、また集団外部からの強い脅威に晒される状況に置かれる場合である(*7)。
中央銀行における集合的意思決定である金融政策は、政策決定会合における投票により決定されるため、中央銀行総裁の考えや分析にのみ左右されることはない。しかしながら、集団思考に基づく意思決定が、政策決定による結果に対する無責任、結果倫理の欠如を生む可能性があるならば、欧州中央銀行の合議での満場一致原則に近づき、集団思考を排除するべく、中央銀行総裁の公平なリーダーシップがもとめられる(*8)。
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(5)以下の論文は、カナダ中央銀行、イングランド銀行、欧州中央銀行、スウェーデン中央銀行、米国FRBの五つの中央銀行の票決結果を精査し、委員会制の下での集合的意思決定に関する四つのタイプのモデルのうち、どれが当て嵌まるかについて理論的、実証的に分析し、コンセンサスを目指す委員運営モデルを支持した。四つのタイプとは、賛成大多数をもとめるコンセンサス・モデル、議長が恣意的に議題を選択、設定するアジェンダ設定モデル、議長の提案がそのまま通る独裁者モデル、そして中位者の選好が議決を左右する過半数決定モデルである。Riboni, A., and F. J. Ruge-Murcia. “Monetary Policy by Committee: Consensus, Chairman Dominance, or Simple Majority?” Quarterly Journal of Economics 125(1), 2010, pp. 363-416.
(6)Ball, L. “Ben Bernanke and the Zero Bound.” Contemporary Economic Policy 34, 2016, pp. 7?20.
(7)真珠湾攻撃などの誤った政治的政策決定につながる集団の心理的傾向をモデル化した以下の研究が嚆矢である。Janis, I. Groupthink: Psychological Studies of Policy Decisions and Fiascoes, 2nd edition, Houghton Mifflin Company, 1982.
(8)“Everyday Economics”(Speech at Nishkam High School, Birmingham, 27 November 2017)などに見られるように、金融市場のみならず、公衆との対話を推し進めるイングランド銀行のチーフ・エコノミストが、以下の講演で中央銀行の陥り易い四つの心理的バイアス(Preference bias, Myopia bias, Hubris bias, Groupthink bias)の一つとして集団思考を挙げている。Haldane, A. G. “Central Bank Psychology.” Speech at Leadership: Stress and Hubris Conference hosted by the Royal Society of Medicine, London 17 November 2014.
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デジタル通貨とデジタル・プライバシー
貨幣の形態は、便利さの歴史である。受容性は高いが運搬し難い貴金属から、軽量だが偽造の危険性のある紙幣や、決済までの時間がかかる小切手などへ形態が変化してきた現在、情報処理技術の長足の進歩により、デジタル・データによる決済がそれらに取って代わりつつある。
とりわけ、脱税や犯罪、マネーロンダリングなどの反社会的活動の手段として、取引履歴の匿名性が担保される紙幣は悪用の可能性がある。ヨーロッパで急速に広がるキャッシュレス化には、単位当たりの保有コストの低く、反社会的活動に好都合である高額紙幣の廃止も寄与している。
一方、デジタル通貨は、中央銀行の台帳を通じたコンピュータ処理により、情報のフローによる速やかな決済を可能にする。さらには、中央銀行のマイナス金利政策の制約となってきた紙幣の保有コストというゼロ下限制約を無効とする利点がある(*9)。
ところが、デジタル通貨は情報のフローであり、仮想通貨に頻出する紛失や流出の可能性が高いため、貨幣の匿名性の担保を毀損し、取引履歴の捕捉を可能にする。そのため、わたしたちが交換手段としてデジタル通貨を用いる場合、わたしたちの取引履歴が第三者に捕捉されることになり、プライバシーの保護が問題となる。
デジタル通貨の実用性について、日本銀行をはじめとして多くの中央銀行で実験が始まっている。真に情報としての貨幣が法定通貨として流通するとき、公と私の境界に関わる貨幣のもつ匿名性の在り方が問われる。既にインターネット・ビジネスが行っているように、データの提供者の一挙手一投足がリアル・タイムで第三者に捕捉される時代に、従来までのプライバシー権の考え方自体の再定義が必要となる。
日本国憲法第13条で規定されるプライバシー権は、「新しい人権」のひとつである。19世紀の末にはじめて、法的保護の対象となった。グーグルやフェイスブックなどが発達した現在のインターネットの環境においては、むしろプライバシーは幻想に過ぎず、情報の目的は人々にコミュニケーションの口実を与えることにあるという考えが広まりつつある(*10)。
デジタル通貨の場合も例外ではない。紙幣や硬貨の形態に代わって、中央銀行の台帳上での操作を通じてマイナス金利への誘導を容易にするデジタル通貨を、中央銀行が発行する事態も現実味を帯びつつある。情報としてのおカネが百花繚乱する現代において、通貨の番人たる中央銀行が向き合わなければならない問題は、貨幣とは何かについて再定義することにある(*11)。
デジタル通貨のもつ利点を活かすためには、貨幣の匿名性を毀損する必要がある一方、プライバシーの保護を訴えると、デジタル通貨の利点が殺がれるという、トレードオフの関係が成立している。デジタル通貨の導入には、あらためて金融規制を含めて様々な法体系の整備を伴う法秩序の再構築を伴うはずである。そのとき、憲法の番人である最高裁判所と同じく、中央銀行の集合的意思決定を掌る総裁はじめ政策委員全ての国民審査も議論に上ることになろう。
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(9)Barrdear, J. and M. Kumhof. “The Macroeconomics of Central Bank Issued Digital Currencies.” Bank of England Working Paper No. 605, 2016.
(10)アンドレアス・ワイガンド『アマゾノミクス: データ・サイエンティストはこう考える』(土方奈美訳)、2017年、文藝春秋;「デジタルプライバシー」『朝日新聞グローブ』2018年3月4日。
(*11)グリーン・ファイナンスとの関連で気候変動のリスクについてかつて言及したイングランド総裁は、先進国の中央銀行総裁のなかでいち早く、デジタル通貨への否定的な態度を表明した。Carney, M. “The Future of Money.” Speech at the inaugural Scottish Economics Conference, Edinburgh University, 2 March 2018.
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おわりに
2018年3月現在の主な中央銀行総裁ないし議長の顔ぶれは、米国FRBジェローム・パウエル議長(ジョージタウン大学ローセンターで法務博士(専門職)取得)、欧州中央銀行マリオ・ドラギ総裁(マサチューセッツ工科大学で経済学博士号取得)、イングランド銀行マーク・カーニー総裁(オックスフォード大学で経済学博士号取得)、日本銀行黒田東彦総裁(東京大学法学部在学中に司法試験合格、オックスフォード大学で経済学修士号取得)など(*12)。法律を専門的に学んだ中央銀行総裁は、日米に見られるに止まる。
人工知能に取って代られる職業が注目される昨今、機械学習の進展により人工知能を搭載したロボットやアンドロイドが、カルテや判例を読み込むことによって、優れた医者や弁護士の職を奪う可能性が指摘される。中央銀行総裁の職が、人工知能に取って代られることはないだろうか。
エリートへの信認の下、民主主義の赤字として許容されてきた中央銀行制度が今後、エリートからの権利の剥奪をうたう経済政策のポピュリズムの反動を免れるという保証はない。現代の中央銀行総裁には、貨幣に関する該博な知識・知見のみならず、集団思考に陥らない集合的意思決定をリードしていく資質が問われる。デジタル・プライバシーの定義をはじめ、デジタル通貨の導入に伴う法体系の整備のため、国民審査の導入の是非について議論が必要なとき、物事の正否についてバランス良く論理的に判断するリーガル・マインドをもった中央銀行総裁が望まれる。
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(*12)各総裁に関するウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/より。
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竹田陽介 上智大学経済学部 教授
ニッセイ基礎研究所
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